第七回公開講座 2009年9月12日(土)
「グループセックス大河物語――“GS”に歴史あり」
ゲスト|とも(「グランブルー」元スタッフ)


タイムマシンにおねがい――グループセックス大河物語
 
まずは、ご報告が大幅に遅れたこと、深くお詫びしたい。年号や名称を調べていたら、迷宮に嵌ってしまった。途中、直江兼続や前田慶次、真田幸村などが誘惑するものだから、寄り道してしまった(笑)。昨2009年9月12日(土)に「遊びの学校」の第七回公開講座「グループセックス大河物語――“GS”に歴史あり」を開講させていただいた。既に、ご報告させていただいているが、今回は“ハプニング&サプライズ”があった。

実は、今回、ゲスト講師として予定していた伝説のハプニングバー「グランブルー」の元マスターの山本様がインフルエンザに罹病したため、講師を担当できなくなってしまったのだ。そのため、急遽、同マスターの指名で、ゲスト講師として代理登壇していただいたのが「グランブルー」の最盛期の責任者だったとも様。20年ほど前から、カップル喫茶やパーティなどで遊び、その交流の中、山本様と知り合い、それが縁で、ともにグランブルーを仕切ることになった。現在もハプニングバーの経営に関わっている。GSの歴史の証言者であり、現在のGS事情にも精通する。山本様の欠席を補って、あまりある、今回の講座には相応しい人物だ。

まず、第一部で登壇した本校の名誉校長のミック様の挨拶は、突然のハプニング&サプライズへのお詫びから始めさせていただいた。
いかにも「遊びの学校」らしい“事件”だが、グループセックスの歴史は、ちゃんと、解説させていただくので、ご安心あれ、というところ。

“GS初めて物語”の始まりである。
ミック様がGSに関わりだしたのは20数年ほど前からだが、当時は、現代のようにネットなど、普及していない。まだ、80年代、90年代初頭は、ネットといっても、パソコン通信くらい。出会い系は、伝言ダイヤルやテレクラのマニア回線という時代だ。ならば、入口はどこにあるのか。ミック様は、スワッピングの交際誌や夕刊紙の三行広告で、GSの世界への“手掛かり”を掴んでいった。そんな中、暗中模索、手探りで見つけた情報を頼りに飛び込んでいく、ある種、“覚悟を決めた人達”の遊びだったそうだ。ネットの普及で、垣根が低く、誰でも気軽(!?)に体験できる現在とは、雲泥の差である。背景が全然、違うのである。
意を決して飛び込んだ遊び場で出会った“戦友”(!?)からは、口コミで、情報を得ていった。
まだまだ、アナログな時代である。通信手段もバブル以降、携帯電話も普及してきたが、いまのように誰もが持っているという状況でもなかった。

スワッピングの相手を見つける“マニア”のメッセージが掲載される交際誌の歴史は案外と古く、1971年、日本初の夫婦交際誌として『全国交際新聞』が創刊されている。現在の『ホームトーク』の前身である。『全国交際新聞』は、『月刊ホームダイヤモンド』、『月刊ホームトーク』へと誌名変更され、現在、創刊40年目、通巻400号を超える長寿月刊誌として発行され続けている。同誌の登場は、スワッピングの文明開化、まさに鹿鳴館時代の幕開けである。いや、それより、もっと前。幕末!? 黒船来航のようなものかもしれない。
『ホームトーク』の後続誌として、80年代には、『スゥンガー』、『オレンジピープル』なども創刊されている。

三行広告は、『内外タイムス』や『レジャーニューズ』などに掲載されていた。“大人のパーティ”や“ビデオ鑑賞会”などの文字の洪水の中から、“相互鑑賞”“夫婦交換”などの文字を頼りに、乱交パーティやスワッピングクラブ、カップル喫茶を見つけ出した。

現存するスワップクラブの老舗「オセロ」(赤坂で誕生し、麻布、五反田へ移転。現在は目黒で営業)は、その歴史は30年を超えるという。1980年にはあったことになる。それを追うように、瑞江「ABC」や新小岩「ライト」、大久保「メロディー」なども出来てくる。
ミック様は、スワップクラブとしては、大久保であったメロディーで遊んだという。大久保駅から徒歩5分ほどのマンションにあった。2LDKほどで、普通の住居用マンションで、開催していた。千葉在住の夫婦が週末に経営する店で、彼らそのものは交際誌の常連であり、オセロなどでも遊んでいた。いわば、趣味が高じて、スワップクラブを作ってしまったというところだろう。

カップル喫茶そのものは、同伴喫茶を前身としているが、日本初のカップル喫茶は大阪・鶴橋の「ワクワクドキドキ」といわれている。1993年にできたとされている。当時は週刊誌やテレビなどでも話題になった。どちらかというと、ノーパン喫茶など同様、大阪の独特の性風俗として、紹介されたものだ。
同店誕生後、東京でも後続の店が相次いで誕生。東十条、赤羽、鶯谷、池袋などに出来てくる。
当時のカップル喫茶の形態はボックス型とワンルーム型が勢力を二分していた。ボックス型とは、店内にソファーやベンチが置かれ、ボックスのように区切られている。隣り合わせになった各ボックスには窓があり、薄いカーテンで仕切られているだけなので、プレイを覗くこともできた。ワンルーム型は、文字通り、カーペットや絨毯が敷かれたワンルームで、プレイするというところ。
ボックス型は徐々に廃れていくことになる。ミック様は「他のカップルと絡みづらかったのが、廃れた原因のような気がします」と、その歴史的必然性を考察する。

ミック様がよく遊んだというが池袋の「X」というカップル喫茶だ。自分の彼女がセックスをしているところを見たいという願望を最初に叶えた場所は、池袋西口にあった「アイアイ傘」というお店に居合わせたカップルと、店を出てラブホテルに行って体験。スワップ初体験から半年後、「X」は足繁く通うことになる。スワッピングという遊びの様々を体験したお店で、ミック様のGSライフの原点のようなところだ。
当時のカップル喫茶は、現在のカップル喫茶などと違い、店内はソファー席が中心だった。
「どうしても不自然な形で、プレイしなければならないので、床がカーペットだったから、必ず、膝や肘が痛くなった(笑)」
と、ミック様は回顧する(遠くを見るような目になる!)。

「X」と同時代には、荻窪の「夢の楽園」(1995年オープン、現在も営業中)、四谷の「ヘブン」、浦安の「アダム&イブ」などが続々と誕生する。
しかし、カップル喫茶は一時、摘発が相次ぎ、ブームは沈静化していく。

地下にもぐる形で、都内のホテルなどでは、マニアが集まるパーティが開催され、そんなところには、後にサークルやハプニングバーを立ち上げる主だった人が集まったという。中には、大型クルーザーを所有し、同船を使用してパーティを開催するものもいた。現在と違い、“余裕のある大人の遊び”だったのだ。

同時期には、“変態バー”を前身としたフェティシュバーも誕生する。大阪の「ミックスルーム」(堂山)や東京の「グレイホール」(新宿)などがその先駆けである。

90年代半ばになると、五反田の「LOVE2」、新宿の「ドール」など、カップル喫茶が再ブームとなる。「グランブルー」の前身になる「オリーブ」(現在の「オリーブ21」とは別店舗)もできている。同店が画期的だったのは、カーペットなどではなく、床にソフトなマットが敷かれたことだ。同マットは同店のオーナーだった山本様が独自開発したものだ。いまではハプバーやカップル喫茶では当たり前だが、同店が最初のことだった。
ミック様は「膝痛、肘痛から、僕たちを解放してくれた」と、嬉しそうに述懐する。
さらに、「マットを敷いたのも画期的ですが、そもそも談笑スペースと別にプレイルームを設けた店舗の作り。これも画期的だったように感じました。もっとも、マンションなどで行われていたパーティでは当たり前のことでしたが、喫茶にその形態を持ち込んだ先駆けだったように思います」と、付け加える。

カップル喫茶再ブーム、「ジュエル」(六本木)、「マーキス東京」(新宿)、「Club MoMo」(新宿)、「BUG」(池袋)、などのフェティシュバー誕生、「横浜カップルパーティ」(横浜)、「パラダイス」(船橋)、など、グループセックスサークルの登場など、GS界は90年代後半から、大きく動き出すことになる。
そんな流れを引き継ぐ形で、2000年、新宿・歌舞伎町に誕生したのが日本初のハプニングバー「グランブルー」である。いよいよ、GS戦国時代の幕開けである。天下布武を成し遂げるのは、どこか。そんな波乱に満ちた時代の話は、タイムマシン(!?)に乗って会場へやってきた“当事者”に登壇していただき、語っていただく――というところで、第一部は終了。

10分間の休憩後、第二部の開演である。前述どおり、山本様の代理として、ゲスト講師を務めていただくとも様が登壇。長身に甘いマスクの持ち主で、GS初体験は20歳直前、10歳代。それも飲み屋で知り合った優しい“お姉さま”の2人組に、懇切丁寧に手ほどきされたというから、誰もがうらやむ経歴の持ち主だ。

その彼が遊んだのが先のオリーブである。そこで、山本様と知り合うことになる。山本様の奥様とも当然、遊んだ経験があるという。とも様と山本様、二人は兼続とお船のように、惹かれあい、恋に落ちていく(なんていうことはない)。お互いに自分のパートナーがしているところを見たいという願望があり、そんなこともあって、すぐに意気投合したらしい。
当然、山本様がオープンさせた「グランブルー」にも通いだす。そこで、山本様から責任者として、働かないかと誘われた。
「既に社会人として、仕事もしていましたから、誘われた時は驚くとともに悩みました。しかし、これも何かの縁ですし、自分には向いていると思い、ネクタイとスーツを脱ぎ捨てる決心をし、スタッフになりました」
彼の人生の転機が訪れたのである。

「グランブルー」は当時のハプニングバーには珍しく、デザインやインテリアも凝っていて、とてもスタイリッシュだった。酒などの種類も豊富で、ウィスキーから焼酎まで、何でも揃っていた。そこにハプニングがなければ、普通のバーといってもおかしくないくらいだ。
「『グランブルー』は、内装を含め、女性が入りやすい店作りを心がけました。ちょっと見たら、お洒落なバーというイメージです。お酒なども充実させました。それまでの変態バー的なアングラな雰囲気はありません。そんなところも安心して、女性が入店できたのだと考えています。女性が馴染めるバーにしたかった」
と、とも様は、誇らしげに語る。

といっても、当時は、いまのように単独女性が溢れかえるということはなかった。主役は、スワップや3Pなどを希望するするカップルで、そこに単独男性が群がるという構図だった。
そんな中、店作りをしていく中で、とも様が力を傾注したのが男性の“教育”である。


「やはり、女性やカップルとちゃんとコミュニケーションができて、この人なら任せても大丈夫という雰囲気を醸し出さなければなりません。ある男性もなかなか慣れなくて、うまく遊べなかったですが、“特訓”をしました。清潔感のある身嗜みから、態度や会話まで。コミュニケーションですから、焦らず、落ち着き、話を聞くこと、そして、説得力ある話し方、余裕のある態度を教え込んでいきました。そうすると、遊べるようになるとともに、彼の仕事は営業だったそうですが、成績も伸び、トップクラスになったそうです。なんでも、勉強です(笑)」

いまでは当たり前のように、“ハプニングバー”という名称を使用しているが、実は、日本で最初にハプニングバーという呼称を採用したのは「グランブルー」。同店を取材した記者と、相談しながら、名づけたそうだ。
「毎日、何かが起こる。ハプニングが起こるバーだからハプニングバーということになりました。その頃には、バーに来ている男性とどれだけプレイできるかを競うという“名物女”といわれる常連の女性も増えてきました。毎日、何かしらハプニングが起こりました」

女性の意識もその頃には大きく変わり、積極的にセックスを楽しむ時代にもなってきている。アンアンのセックス特集も回を重ね(最初のセックス特集は1989年、「セックスできれいになる」という刺激なタイトルだった)、98年には木村拓哉の表紙で大きな話題になっている。その前後には、単独女性を受け入れるパーティやサークルなども出来ている。

マスターの山本様は海外視察などにも出向いている。とも様もその話を聞いたという。
「フランスの郊外でしたが、“ナチュラリストクラブ”といって、町中がハプニングバー状態だったそうです。何千名もののヌーディストが町を練り歩いている様は、壮観だったといっています。特に男女問わず、日本人はもてたそうです。こんなところもセックスに関する文化の違いを感じました」

そんな中、「グランブルー」は、大型ハプニングバーの先駆けとして、多くの模範になっていく。そのラグジュアリーで、ゴージャスな空間作り、マナーやルールの徹底など、参考にする店も出てくる。
「グランブルー」誕生前後には、六本木の「鍵」「クラブG」、新宿「美女と野獣」、「ミステリア・ピュアティ」、渋谷「眠れる森の美女」などが相次いで開店する。都内だけでなく、大阪(「CLUB D’C)や名古屋(「ドゥー!」)、福岡(「鍵」や「夜想曲)、札幌(「鍵」や「SWING」)など、全国主要都市にも続々と、ハプニングバーが出来てくる。

このぐらいになると、読んでいる方も懐かしいという感慨を抱けるかもしれない。遠い昔の歴史というより、懐かしい現代史みたいなものだろう。わずか、数年前のことだ。

「グランブルー」は、ハプニングバーが隆盛を極めた時代の先陣を駆け抜け、2006年に華々しく幕を閉じた。同店の閉店を惜しむものは数知らず。ラストウィークは連日、押すな押すなの大盛況で、超満員だったという。いまから、4年ほど前のことだ。とも様は、「グランブルー」閉店後は、この世界から遠ざかっていたが、昨2009年、現役に復帰。あるハプニングバーの責任者として、いまもこの世界と関わっている。

彼の話は、過去から現代へと続いていく――というところで、第二部は時間切れ、終了。現代のことは、次の第三部の質疑応答に回すことになる。

10分の休憩後、第三部は、とも様とミック様が再び、登壇。会場に来ている受講生から質問を受け付ける。やはり、出てくるのは、昨今のハプニングバー事情に関してで、ここにきて、ハプバーの摘発や閉店が相次いでいる。安心して、遊ぶための助言を求められる。

まずは、店を見極めることだという。ただの商売でやっている店か、ちゃんと遊んでいる店か。それはマスターやスタッフと話しをしていれば、そんなことはわかってくる。当然、店舗なので、営業や商売であることに変わりないが、そこに遊び心があり、本当に、遊びたいからやっているか。そして、その店に、客は守るという矜持があるかも大事だという。
「自分たちが遊びたい場所を作ったというところと、営利だけでやっているところとは、やはり、大きく違うと思います。どこか、金儲けに走り、誰でもいいから入店させたり、必要以上に宣伝し、目立つようなことをしているところは危険です。安全には充分留意し、幾重ものセキュリティーを施しています。最終的に、お客様だけには、迷惑をかけないこと、これが大事だと思っています」
と、とも様はきっぱり言い切る。ミック様も「それは話せば、店の姿勢などはわかってくるものです」と、同意する。

そして、とも様は最近のハプニングバーの状況に、敢えて苦言も呈している。
「最近、ハプニングバーを出会い系と勘違いしている人がたくさんいます。ここは、恋人やセックスフレンドを見つける場所ではありません。非日常の場所として、楽しむところであることを、もう一度、考えてみていただきたい。ある意味では、原点回帰です。そんな気持ちで、運営していきます」

楽しく遊ぶための方法なども教授される。このところ、ハプニングバーの摘発など、グループセックスの世界が必要以上に喧伝され、多くの誤解や妄想を生んでいる。そのぶれみたいなものも修正していかなければならない。いずれにしろ、ある種のリスクは覚悟、管理しながら、安全に安心して、楽しく遊びことが大事である。それは、本2010年2月13日(土)の第九回講座の「安全に、安心して、楽しむための“危機管理”」というテーマへと繋がる(と、軽く宣伝させていただく)。


というところで、時間がきたようだ。駆け足で、グループセックスの歴史を概論という形で、追ったが、機会があれば、各論といきたいところ。初期のパーティやスワップクラブなど、興味深い、面白い話はいっぱいある。歴史の時間は今後も開講していく予定である。楽しみにしていただきたい。

まさにGSの歴史は大河、大きな流れである。人々の営為はやむことはない。もっともその大河も一滴(あれ、五木寛之だ!? 近日、報告予定の第八回公開講座に繋がる!)から始まっている。大河を前に、佇む方は、どうか勇気を出して、飛び込んでいただきたい。その流れに身を任せてみたらいかがだろうか。思いもかけない、面白いところへ、あなたを連れていってくれるはずだ。